第25回定期演奏会の会報誌より

 

回,バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲 第1,3楽章」の1stヴァイオリンを弾かせていただく重森玄貴です。

 

僕は,YouTubeCDでこの曲を聴く中で,心に残った演奏が2つあります。ひとつ目は,YouTubeで見つけたメニューインとオイストラフの演奏です。この二人は,とても堂々としていて,soloのところははっきりと美しい音で弾かれていたのでひきつけられました。ふたつ目は小島燎さんにお借りしたCDで,フランチェスカッティとパスキエ氏の演奏です。この演奏は,二人がそれぞれに相手の想いを受け取るだけでなく,二人で音楽をつくる意志が感じました。

 

これらの演奏には到底及ばないとは思いますが,僕たちも二人で心を合わせて,精一杯の演奏をお届けできるように頑張ります。

 

さて,僕は,ヴァイオリンという楽器について,思うところがあります。ご承知の通り,ヴァイオリンは作音楽器です。つまり,左手の指の位置やその当たり方によって音程も音色も微妙に変わります。また,弓を持つ右手のテクニックも重要です。だからこそとても多彩な音をつくり出すことができます。僕は,そういう点を探求するのがとても楽しいし勉強になります。僕は,そういうところがヴァイオリンの魅力であると感じています。

 

本日のバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」でも,ヴァイオリンの多彩な音が出せるという魅力をみなさんに分かっていただけるような演奏をしたいと思っています。

 

本日は,お越しいただきありがとうございました。   

 

           平成27年8月29日 安古市高校1年 重森 玄貴

 

 

私は中学校に入学して室内楽部という弦楽器の部活に入り、そこでチェロと出会った。チェロは自分の身長と同じくらいの大きさで、何だか自分にとって、親友や相棒みたいな存在。学生生活で悩んでいたり辛かった時、チェロを弾くことで何度も自分は救われた。チェロの音は人を癒したり、安心させる力があると思う。チェロのそんな魅力に自分は惹かれて学年が上がるごとにチェロが自分にとってとても大きな存在になっていった。
中学生の時、家族の前で姉のピアノに合わせて演奏した際に、みんながすごく笑顔になってくれて、「チェロはいいな」、「チェロってこんな素敵な音なんだな」と言ってくれた。友達からも、「真帆のチェロの音が好き」と言ってもらえた時とても嬉しかったし、もっと頑張ろうと思えた。もともと私は口で自分の思いを伝えることが苦手で、言いたいことが軽く受け止められてしまったり、上手く伝わらないことがよくあった。でもチェロを弾いていると言葉では発しなくても音で自分の思いを表現できる。それがとても嬉しかったし、やりがいを感じることができた。そして少しでも自分の演奏で笑顔になってもらえたり、何かを感じてもらえたり、演奏する側と聴く側が一緒に音楽を共有して過ごす時間が私
にとってとても幸せなことだった。
チェロと出会ってまだ8年。自分はまだまだ未熟だけど、音楽を通じてたくさんの人と出会えて、たくさんの作曲家、曲と出会えて、とても幸せだ。もちろん挫折しそうになることもあるし、思うように弾けなくて悩んでしまうこともある。でも今自分が思う存分チェロを弾くことができていること、自分の演奏を楽しみにしてくれる人がいることに感謝して、これからも精進していきたいと思う。                    向井真帆

 

 

 

娘がピアノを始めて5年程になります。

届く気配のなかったペダルにも気づけば足が届くようになりました。演奏する曲も、門外漢の父親でも読める楽譜だったのが、ページをめくるタイミングがわからない解読不明な楽譜にいつしかなっていました。課題曲の難所を一つ一つ克服しようと練習を重ねる真剣な眼差しに、娘の成長を実感します。

 

これまで、娘が発表会やコンクールで演奏する姿、そしてそれらに向けて練習に励んでいる姿を見てきました。脳裏によみがえるのは、練習でうまくいかなくて泣いている姿や演奏会で失敗をして泣き崩れる姿等々、ネガティブなシーンばかりです。それらを思い返すと、今でも胸にこみ上げてくるものがあります。

 

「コジマ・ムジカ・コレギア」の演奏会は、多くの先生方・先輩方の多大なるご協力・ご支援のうえに成り立つ歴史ある舞台であり、娘が参加させて頂くには荷が重すぎるのではないかと思っています。しかし同時に、これまでの頑張りの集大成を多くのオーディエンスの皆様の前で披露させて頂ける、本当に有難い機会を頂いたのだと感謝しています。

 

重圧・緊張・喜び・感謝、様々なものを感じ受け止めながら、娘が精一杯の演奏をしてくれるものと期待しています。欲を言えば、無事に演奏を終え笑顔で舞台から戻ってきてほしい。そうなれば、それ以上の幸せはないと思っています。

 

佐古田恵の父

 

  

 よく「何歳からピアノやってるの?」という質問を受けますが、いつも返答に困ってしまうわたし。物心つく前から家にピアノがあり、どういう形でいつ始めたのか、今ではほとんど記憶にないほど、我が家でピアノを始めることは自然なことでした。今回、こういった文章を書く機会を頂いたので、改めて自分と音楽の22年間を振り返ってみようと思います。

 小学3年生の半ばまで、ほぼ母親に指導してもらっていました。今思うと、よく親子で耐えたなぁ・・と()元々リズム感もなく(今でもとんちんかんなことしてしまいますが)、歌を歌うのもなんとなく気恥ずかしく、とても音楽が向いていたとは思えない子でした。

「小学生になったらピアノはやめる!」発言をしていた私ですが、小学1年生で始めて受けたコンクールで小さな賞をもらい、すっかりご機嫌となり、そこから私のステージ人生が始まりました。途中から勉強との両立も始まりましたが、放課後は普通に外に遊びに行っていたし、コンクールで潰していた夏休みも良い思い出です。全国大会が決まれば東京に行ける、というのも1つの楽しみで、家族旅行とコンクールのセットは我が家の風物詩でした。

 中学・高校になると進路の話が絡んできて、この先どういった形で音楽と関わっていくのか悩む日々もありました。最終的には高校時代に母校・広島女学院で出会った1人の恩師の影響もあり、ピアノ以外に自分が深く学びたいと思える分野を見つけられ、迷うことなく一般大学を目指し、高校時代は紆余曲折ありながらも勉強しました。しかしこの間もピアノから離れることはできず、高校3年の12月までレッスンに通わせていただきました。月に何回か西先生のもとへ行くのは、受験生活の息抜きの1つとなり、楽しみにしていた覚えがあります。

 人生の歯車のもと東京の国公立大学に進学。浪人期間中1年間全くピアノに触れておらず、一人暮らしの家にはピアノもないので、大学入学当初はまさか自分がコレギアの舞台に立つとは思ってもいませんでした。偶然見つけた大学のピアノサークルで練習場所を見つけ、なんとなくピアノを再開したのをきっかけに、大学1年の夏にはステージ復帰までしてしまいました。この年の夏に弟がコレギアに出演させて頂いたのを機に、自分もあのステージに立ちたいと意識するようになりました。ここから私の第2の音楽人生が始まりました。大学では基本アプライトピアノでの練習、週末や学校行事によって練習場所なくなること多々あり、また1番しんどいのがいかに自分を律して毎日真面目に練習するか、ということ。実家で24時間グランドピアノ弾き放題、いざとなれば母親に尻たたいてもらえる環境とは違い、とにかく練習場所の確保とモチベーションの維持に骨を折りました。ハングリー精神とはこのことか!と強く感じたものです。ある意味高校時代までより、ピアノに対する思いは貪欲にはなったものの、普通の大学生と同様、バイトに勤しみサークルで代表やり、ゼミで英語の論文読み・・・と、その中にピアノが収まるように生活しています。

 昨年、正式にコレギアでコンチェルトの機会が決まった時、思い切って大学近くのアパートから、24時間練習OKな楽器専用マンションへ引っ越しました。両親の理解には感謝してもしきれません。ひとまずは、コレギアのステージで、自分にとって最高のパフォーマンスを披露することが、私の音楽人生に関わってくれた方々への感謝のしるしだと思っています。この先は、いつか弟と2人でコンサートを開くこと、そしていかに長く現役で演奏することを続けられるかが目標です!!

大原 文

 

  

 

4人の師

  

本日はご来場ありがとうございます。 

私事ではありますが、明日午前、関空発の飛行機でフランスへと旅立ちます。 今春、京都大学も無事に卒業することができ、念願だった留学が叶うこととなりました。

 

特に期間を定めず、若いうちは向こうで活動したいと思っていますので、これでしばらくの間、日本から拠点を移すことになりそうです。

 

大学に入りたての頃から、将来はヨーロッパで!という願望はありましたが、こうして具体的な形で実現したのも、心から尊敬できる、また人間的にも大好きな師との出会いがあったからであり、そうでなければ音楽留学というのはなかなか難しいものです。

 

これから師事するレジス・パスキエ先生はフランスの至宝とも言われ、名実ともにまさしく巨匠と呼ぶに相応しい大演奏家です。オイストラフ、フランチェスカッティ、スターンらに薫陶を受け、父上とその兄弟は20世紀前半にパリで名を馳せたパスキエ・トリオで、フォーレやサン=サーンス、ストラヴィンスキーらと親交があったという、僕の年代からすれば、もはや伝記の中の時代と繋がっている方です。

 

私が惚れたのは、第一に彼の類まれな音色。今の時代、難しい曲を軽々と弾きこなすヴァイオリニストは山ほどいますし、彼のグァルネリ・デル・ジェスと同じような名器を持つ方もたくさんいますが、彼のような音は誰も出せません。巨匠たちの時代を生き、肌で香りを感じた者にしか作れない、芳醇な赤ワインのような音色。それを今なお持つ現役ヴァイオリニストというのは、世界中見渡してもそうはいません。そんな彼は、生徒に対しても何はさておき、音色づくりを追求させます。ますます速く、大きく、という演奏が流行る今の時代にあって、彼のそのスタンスに大いに共感しました。

 

第二に彼のユーモア溢れ、まるで子供のような(もうすぐ70歳ですが)無邪気さを残す人柄。私は今まで数多くの名教授にレッスンを受けましたが、必ずしも皆が人間的に愛せる方ばかりではありませんでした。彼はどの生徒に対しても最大限の愛情を注いで教え、しかも明るく、皆が笑顔になるレッスンをします。素晴らしい内容のレッスンのあとは、お茶を飲みながらパスキエ冗談劇場のはじまりはじまり。とにかく面白いこと、皆を喜ばせることが大好き。

 

そんな最高の師に、どういうわけか私は大変可愛がっていただいています。それもこれもすべては偶然から始まったことでした。大学1年時にたまたま参加した講習会で、たまたま講師のひとりとして来られていたこと。フランス人の先生ならとりあえずフランスの曲を習おう、と思ってショーソンの詩曲を弾き、結果高評をいただいたこと。その日に両親がたまたま聴講に来ており、「あの先生は素晴らしいから絶対に近づきなさい」と後押ししてくれたこと。どれが欠けても明日からの自分はありませんでした。

 

その一方、自分としても彼に食らいつき、日本各地はもちろん、フランスやドイツへも追いかけて、何度も指導していただきました。残念なことにパリ国立高等音楽院の教授はすでに退官されており、学校では教えていなかったのですが、それでもダメ元で「先生のところに留学したいんです」と伝えたところ、なんと私立のエコールノルマル音楽院のポストを取ってくださいました。これで留学は決まり。大学3年の夏でした。

 

こうしてみると、一人の先生に惚れ、とことん追いかけるということの素晴らしさ、そこから広がってくる可能性の大きさというものをひしひし感じます。昨今は、国際コンクールその他の事情から、利害損得で著名な先生のもとを転々と巡るということもよくあることです。自分の大学の担当教官と相性が合わないこともあります。それを考えると、こうして心から敬愛する方のもとで徹底的に学べる幸せをかみしめています。

 

パスキエ先生に限らず、これまで私がお世話になった先生は全てそうでした。5歳の時から手ほどきを受けた父。彼も、一音でそれとわかる独特の音色を持っていましたし、オーケストラプレーヤーとしてベルリン・東京・広島で活躍したことを尊敬しています。小6~中2でお世話になった長原幸太先生。12歳年上のお兄さんが目の前で鮮烈なテクニックを見せて下さり、あの深い音を聴かせて下さったことが、どれだけ自分に刺激を与え、憧れを持たせて下さったことか。先生の演奏会も大阪までよく聴きに行きましたし、本当に可愛がっていただきました。そして今まで9年間ご指導いただいた小栗まち絵先生。あれだけ優秀なお弟子さんを数多くお持ちの中、私など本当に不肖の弟子だったと思うのですが、粘り強く私の欠点を直して下さり、またいつも長所を褒めて下さり、まるで我が子を育てるかのように親身に、愛情いっぱいに指導していただきました。演奏で良い結果が出たときには一緒に喜び、うまくいかないときは一緒に悲しみ、どれだけ私の心の支えになって下さったことか知れません。

 

私は皆のように、1週間に一度のレッスンというものは経験したことがありません。いつも不定期でした。たぶん、これまでの人生で受けたレッスン回数を数えたら、周りと比べても半分以下だと思います。でも心から愛し、慕える先生だけにどっぷり浸かってきました。

 

いま、小中学校の先生も短期間で転勤になったりしますし、塾にしても大学にしても、一人の先生のもとで継続して何かを学ぶということが少なくなっていると思います。私のこれまでの短い道のりで考えても、どなたか尊敬できる方にずっと見守っていただいているということがどれほど有り難く、励みになることか。

 

今日は、9組の若いソリストの皆さんのオーケストラ共演が、いつまでも記憶に残る思い出となるように、またこの先悩んだり行き詰ったりした時に思い起こせる晴れ舞台となるように、一生懸命サポートさせていただきます。明日からしばらく日本とはお別れですが、来年8月には一時帰国できる予定です。演奏会のお話も色々いただいています。どうかその際にはまた応援いただけますよう、よろしくお願いします。では、行ってきます!

 

 

 

コンサートマスター 小島 燎

 

 

自他ともに認める根気のない人間が25回の演奏会のお世話を続けることができた。通知表にはいつも「協調性がない」と書かれていた人間が(時々喧嘩もするけど)なんとかみんなと一緒にやってこれた。経済観念もなくて計算も苦手だけどなんとかひどい赤字は避けてこれた。うまくいかないこともあったけど、やるんじゃなかった!とまで思われたことはたぶん・・・ないと思われる。プラスの方が断然多かったと思われる。

 

それぞれが得意なことを提供しあって、楽しみながらみんなでお世話して赤字も黒字もあんまりない企画、これはピアノ人生では陽の目を見なかった人間のささやかな誇りである。

元々は夫がやりたがったことでした。偶然ながら息子が生まれた頃から始めて最近は戦力にもなってくれる。仲が良いのか悪いのかよくわからない家族だけど、一致団結して続けてきた家族の財産であり、なんだか広島の子どもたちにとっても大事な役割になってきたみたいだ。

 

おだてられたり励まされたり叱られたりしながら、兎にも角にも続けました!

ちょっとだけ褒めてください~の25回目です。

 

新生コレギアになってからの3回、チームの団結もヒートアップしてきました。

みんながうまくいくことがみんながうれしい。競争の多い社会では貴重な側面

です。私たちも老化してきますので、徐々に皆さんで続けてほしいなと・・・コ

ジマ・ムジカ・コレギア⇒みんなのムジカコレギアに改称もいいかも。

ドタバタジタバタ企画ですが、いつも応援ありがとうございます。

 

黒子代表 小島朋子